生活

3.11の思い出

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3.11は昨日ですが、もう9年前ですか。

覚えているうちに当時のことを書き残しておきます。

■阪神・淡路大震災

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD

先にこちらの震災の話を。

当時私は名古屋の大学生で、学校の近くに下宿していました。

朝方寝ていた時に揺れを感じ目を覚ましました。

名古屋の下宿では、さほど大きな地震には感じなかったのですが、すごく長く揺れていたなということだけが印象に残っています。

揺れが収まった後眠っていしまったのですが、起きてテレビをつけてびっくりした記憶があります。

当時21歳だったのですが、自分が知る中で一番大きな地震が起きた日でした。

大学の友達に神戸出身者がいたので家族は大丈夫か声をかけたところ、連絡がつかないとのことでした。

何日か後にようやく連絡がついたらしいのですが、「なんで無事である旨を連絡してくれなかったのか」、という彼の質問に対しての答えは「それどころではなかった」、とのことです。

家族への連絡ですら優先順位は低くなる。大地震とはそれくらい大変なんだなと感じました。

■神戸での暮らし

私は大学を出た後に2年ほど神戸のゲーム専門学校に行っています。

震災から2年ほどたった時のことです。

当時「いいひと」という漫画が好きで、作中で阪神・淡路大震災の復興について取り上げています。

あと西村しのぶ先生の「サードガール」という神戸を舞台にした漫画が好きでした。

大地震があった後の都市がどうなっているか、今現在の神戸はどうなっているのかに興味がありその学校へ行くことを決めました。

当時の神戸の暮らしは驚くほど快適でした。(酒鬼薔薇聖斗の事件などはありましたが)

ただアーケード街や街の各所に震災の爪痕を見ることができました。

ポートアイランドに学校があったのですが、その頃は人がほとんどいない状況です。

みんな震災があって、会社の機能を別のところに移していました。

ポートアイランドにはまだ仮設住宅がありました。

地元の人たちに当時がどうだったかという話を聞くことができたのも、良い経験でした。

■東日本大震災

時は変わって東日本大震災です。

長男を妊娠したところで、当日はたまたま千葉の東の方にある自宅(マンション)にいました。

家でのんびりしているところに14時46分地震が発生します。

奥さんは怖がって自分にしがみついています。

自分は大丈夫だと声をかけていたのですが、全然地震がとまらず焦っていました。

コップが棚から落ちて割れています。

そんな地震は経験したことがありませんでした。

ひょっとしたらこれは死ぬかも、というのが頭をよぎります。

あと早くドアを開けに行かないと開けられなくなるのでは、という懸念がありました。

それでも奥さんを振り払ってドアを開けに行くわけにもいかず、揺れが収まるのを待ちました。

マンションは停電、みんな外に出てきてはいますが何が起きているのかはわかりません。

かろうじてワンセグなどで東北で地震があったということがわかりました。

ただ地震のすぐ後は東北の状況より、関東近辺の被害状況の報告の方が多く、大変ではあるが絶望的な感じはありませんでした。

オール電化だったので夕食をどうするか、という切実な問題があり、近くのコンビニに行ってみました。

そのコンビニも停電していたのですが、お店の人が売ったものをメモに取り、お店を続けてくれたことでかろうじて菓子パンなどを手に入れることができました。

停電は夜中の3時ごろにようやく復旧。携帯の充電など電気がないとできないことを一通り対応した後に眠りにつきました。

寝入った直後、岐阜の友達から安否を確かめるメールがきて、こんな時間に送るなよ、と思ったのを覚えています。

そして翌日目が覚めてニュースを見た時にやっと事の重大さに気が付くことになります。

ああ、阪神・淡路大震災と同じような状況になったのだ、と理解しました。

■震災後

ここからはダイジェストで。

妊娠中の奥さんを地元に返しました。

羽田空港まで送った帰り京急が止まっており、モノレールで帰りました。

京急が止まっているのでこんでいると思ったらすごくすいていて、なんですいているんだろうと思ったら余震の影響で緊急停止が何度も発生。

海の上でモノレールが止まるのは恐怖。

計画停電、物資不足がありました。

大変ではありましたが、地元から送ってもらったりでそんなに困ることも無し。

余震は音で分かるように。

ゴー、っという地鳴りがしだしたら、すぐにその後に大きな地震が。

原子力発電所がどうにかならないかなあ、ということが一番の気がかりでした。

奥さんと私は実家が遠いので、お正月とお盆、どちらかでどちらかの実家に帰るようにしていました。

当時両親は70過ぎ。

80歳まで生きるとして、あと10回くらいしか会えないのか、ということに驚愕し地元に戻ることにしました。※理由はそれだけではないですが。

今年父が亡くなっているので、あそこで戻ってきていなければ10回程度あっておしまいだったはずです。

■振り返ってみて

驚くほど覚えていてびっくりしました。

私は記憶力が悪いというか、なんでもすぐに忘れてしまう方なのですが。

今新型コロナウイルスで大変な状況ですが、あの時に比べたらまだどうにかなりそうだ、というのが今の心の支えですね。

すこしたったら今の状況を思い出して記載しますか。

大変な日々ですが、冷静に目の前にあることをコツコツやっていくことしかないですね。

震災は大きな被害を出しましたが、日本人を一回り強くしたように思います。

日はまた昇る!

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