制作

ゲーム開発者になれたのは

投稿日:

今どうにかゲーム開発者として食べていけています

ただこれはたまたまが良い運が重なっただけのような気がします。

■ベーシックマスターレベル3マーク5との出会い

買ってもらった、わけではなく親戚が使わなくなったものを父親がもらってきてくれました。

レベル3マーク5 システムリスト

レベル3マーク5の概要 レベル3/マークII用の周辺機器・ソフトウェアを使用可能(拡張RAMカードを除く) 低価格化(MARKII:198,000 -> MARK5:118,000) ROM 24KB標準実装(空きソケットなし) RAM 64KB標準実装、64KB追加拡張可能(空きスロット1) IG(フルカラーPCG)標準実装 付属品拡充:入門書・文法書・IGユーティリティ・BMCALC.(スプレッドシート/マクロ)他 キーボード部変更(MARKII:青色系 -> MARK5:茶色系・パームレスト追加・PFキー早見表追加) 操作部変更(スイッチパネルドア廃止・ボリューム背面設置) RS232C変更(MARKII:チップスイッチ -> MARK5:ジャンパスイッチ・コネクタオプション) モノクロCRTコネクタ変更(MARKII:RCA -> MARK5:DIN4ピン) ----- ベーシックマスターレベル3マーク5 システムリスト -------- パーソナルコンピュータ本体 ---(形式 品名 Price Sold) MB-6892 BASIC MASTER LEVEL3 MARK5 ¥118,000 1983/4- MB-6892A BASIC MASTER LEVEL3 MARK5 ¥118,000 -1984/3 --- ディスプレイ ---カラーディスプレイ C14-1190 14inch 400*240 RGB ¥64,800 C14-2190 14inch 640*200/400(interlace) RGB 長残光 15色 ¥108,000 C14-2191 14inch 640*200 RGB ¥98,000 MP-9790 ティルト・スィーベル台 C14-2190/2191用 ¥8,000  MP-9781 VHFカラーコンバーター TV接続用

小学校高学年くらいですかね。

当時はMSXがはやっていたのですが、知っている人は知っていると思いますがかなり渋い機種です。

普通に小学生がいじるようなコンピュータではありません。

当時はパソコンという呼び名より、マイコンという名称のほうが一般的でしたね。

■プログラムを始める

ゲームが全然ないんですよ。

全くないわけではないですがそもそも選択肢が少ない。

地方の小学生には全然手が出ないわけです。

で、ここでであったのが「こんにちはマイコン」!

ゲームがないなら自分で作ればいいじゃん!

「ゲームセンターあらし」好きでしたからね、夢中になって読みました。

でここに書いてあるサンプルプログラム(ベーシック)を打つわけですよ。

全然動きません(笑)

いまでこそ規格統一がされていますが、当時は同じベーシックでも拡張命令があってそれが入っていると途端にバグになります。

こんにちはマイコンではNECのコンピュータを使っていましたから。

ベーシックマスターレベル3マーク5だと円を描く命令ですら走らないわけです。

■ベーマガとの出会い

まだゲームをやるのはあきらめられません。

普通にファミコンも持っていたのですが、自分でプログラムを書いてゲームを動かしたいという衝動がちゃんとあったんですよね。

そこで次に手を出したのがベーマガ、マイコンベーシックマガジンです。

ベーマガにはベーシックマスターレベル3マーク5のプログラムが載ってたんですよ!

っていうかベーマガ以外にはどこにも載っていません。

当時投稿していた人たちはどうやって勉強してたんでしょうか。

ポチポチとプログラムを打ち込んで、ゲームを動かすことに成功するわけです。

■山下章さんとの出会い

といっても直接お会いしたわけではありません。

当時ベーマガで「チャレンジAVG&RPG」という連載を持っていました。

これに夢中になったんですよね。

ベーシックマスターレベル3マーク5にはアドベンチャーゲーム全く移植されません(苦笑)

でもやりたいわけですよ、毎月面白そうなアドベンチャーゲームの記事が載っています!

■じゃあ自分で作るか

というわけでテキストアドベンチャーですがゲームを作ることになります。

今考えるとひどい出来だったんですが、それでも小学生でそれをやれたのは自分ながら偉いと思いますね。

そうこうするうちにファミコンで「ポートピア連続殺人事件」、「ドラゴンクエスト」が発売されるわけです。

どちらもそれなりに売れてはいましたけど、出た当初はいまいちな扱いでしたよ。

ようわからんゲームだな、という。

ドラクエが人気だな、って実感したのは2が出てからですね。

わたしは予備知識がありましたので即飛びつきました!

そこからアドベンチャーゲームやRPGばっかりやるようになったのです。

■ないからこそあるからこそ

不便だったからこそ、燃えた、ということがあると思います。

香川県の条例が出た際に、ゲーム作るのに不利だ、っていう人がいましたがないからこそできるようになる人もいるんですよ!

でも最初にベーシックマスターレベル3マーク5を父親がもらってきてくれなかったら今の自分はないように思います。

非常に細い糸のような偶然のつながりですね。

息子に自分で使えるパソコンを買ってあげています。

同じような楽しみを見つけてくれるとよいなあ、と思いますね。

-制作
-

Copyright© ゲームプロマネのブログ , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.