ゲームに限らずですが仕事をする際に自分の領分を曲げない人がいます。
「○○という条件でないと受け付けない」、というやつですね。
その条件が満たされていないと相手にやり直しを要求するやり方です。
社会人であればそういう人を見たこともあるでしょうし、自分はそうしているという人もいるでしょう。
私の見解としてはこのやり方をする人はゲーム開発において、ゲームを面白くするという点において有益な人ではありません。
■有益でない理由
自分のやり方を崩さないやり方はクオリティも担保できるし、予定もたちやすいです。
ある意味計算が立つので、そういう面ではありがたい存在です。
同じようなものを長年作るような職場であればよいのかもしれませんが、ゲームは往々にして「その場限り」で作るものが多いです。
そういう場においては大切なのは柔軟性になります。
■何故柔軟性が必要なのか?
自分のやり方を崩すか崩さないかを決めるのは、自分と相手の忙しさを比べないと駄目です。
自分が忙しいのであれば崩さず置くべきですし、相手が忙しいのであれば崩すべきです。
相手のほうが忙しいのに自分のやり方を崩さないと、相手の時間を奪ってしまうことになります。
結果その人がボトルネックになって、ゲーム全体のクオリティを下げる結果になるのです。
その人がボトルネックになる、そのために別の人が解消に動く、そういうことを繰り返していくうちに本来開発に使える時間を食いつぶしてゲームはつまらなくなっていくのです。
「自分のところはちゃんとやってます」という人は何を作っているんでしょうね?
ゲームは自分の担当がちゃんとできていても、ゲーム自身がつまらなければ意味がないコンテンツです。
■自分のやり方を崩して対応する
私は基本相手のやり方に合わせるようにしています。
何故ならまあ、「私は仕事が早いから」だったりはします。
そして仕事が早い理由はいつも相手のやり方に合わせているうちに、いろんなやり方が身についているからですね。
というかいざ作業相手が忙しいそうだから相手のやり方に合わせようと思っても、その経験が少ないとなかなかできません。
継続的に相手に最適に合わせるためには、常日頃からそちらを選んでおく必要があるわけですね。
私は1年ゲームでないSEをやっていたことがあります。
その時は結構なベテランだったのですが、新人がやるようなこともこなしました。
新人は他人に合わせて仕事をすることが多いですよね?
それの積み重ねって年取ってからでも能力を上げるのです。
大変でしたがその経験で身についた能力というのは後々かなり役に立ちました。
まあ結果的にですが、自分のやり方を崩さない人は総合的に見て能力が低いことが多くなります。
長年そういうやり方を続けている人は気を付けたほうがいいです。
■一方ろくでなしは
しかしながらですよ、ろくでなしというのは相手が大変だろうが自分のやり方を崩したくない人だろうが、自分の思った通りにやらせます。
結果的になんですがそれでゲームが面白くなることが多いのですよ。
どう作りたいか、という部分はあくまでディレクターが決めるものです。
個人の意見とか考え方は考慮しないほうが良いコンテンツになる可能性が高いし、結果ゲームは面白くなります。
有名クリエーターが現場では嫌われることが多いのは、大体こういう理由によるものだと思います。
私自身もう少し性格が悪ければ、もっと作るゲームが面白くなるのになあと思います。