タツヤの幼少時代、というかもう少年時代になりますかね。
仲間たちを含めた彼らがどのようにゲームクリエーターを目指すのか、非常に気になります!
■プレイステーション発売
いやあ、覚えています。
私は大学生だったのですがアルバイトでそれなりに稼いでいたので29,800円になったタイミングで購入しましたね。
まだまだ当時はセガサターンがいいか、プレイステーションがいいのか決めあぐねていました。
欲しいゲームとしてはサターンのほうが多かったのですよね。
でもFFVIIの発売の発表で一気にプレイステーションが優勢になりました。
実際プレイステーションを購入後もプレイしていたのは「リッジレーサー」くらいで、まだまだスーパーファミコンで遊ぶことのほうが多かったですね。
『目指せ100万台!』『いったぜ100万台!』というCMが印象的でした。
本体が100万台出るとそのプラットフォームでリリースしても商売として成り立つようになる、というのが実感なのですがこの時の記憶に根差しています。
本当にこの時期のプレーステーションのCMって秀逸で、どれも面白そうに見えたものです。
■プレーステーション購入
周りの子たちが持っていると欲しい時期ですよね。
自分で稼いだら買ってもいい、というのはいい教育方法かと思います。
ゲーム開発の現場では「ゲーム買ってもらえなかったから自分で作るしかなかった」というプログラマーが少なからずいます。
かくいう私もその中の一人。
アドベンチャーゲームがどうしてもやりたいけど自分が持っているPCではADVは出ていない。(ベーシックマスターというあまりゲームが出てないPCを父親がもらってきて一応あるにはあった)
ファミコンでもアドベンチャーゲームはほとんど出ていない時代。
だったら自分で作ってみるか、ということでプログラムを触り始めました。
小学生くらいにこういった経験があるかないかで、その後制作者になれるかどうかに大きな影響があるような気がします。
なんでも与えられる状況だとかえって遠回りになるのかもですね。
瓶集めでお金がもらえたのもいい時代だったかと思います。
今だと同じようにやろうとしても大変でしょうね。
私は高校生時代楽器のベースを買うために父親の会社の内職をやっていました。
アルバイト禁止だったのでやもなくだったのですが、時給にすると300円くらいしか稼げない(笑)。
でもそれで手に入れたベースはずっと宝物です!
■ゲームは1日1時間
懐かしい言葉ですね。
私が小学生のころに出てきた言葉です。
当時は携帯が普及し始めたころで、まだまだ学生さんが持つことが出来なかった時代。
周りで持っている友人もいましたが、私なんかは最初に携帯を購入したのは社会人になってからですね。
遊べるゲームなんてほとんどなくて、その代わり携帯でのメールのやり取りが異常に面白かった記憶があります。
そういう状況だと隙間時間にゲームをプレイってそんなにできなかったんですよね。
一応ゲームボーイはありましたが、まだまだテレビの前でプレイするのが当たり前の時期。
そういう状況だと1日1時間くらいしかプレイできないというのが普通でしたね。
だからクリアまで40時間くらいかかるRPGが1カ月以上楽しめたのです。
そう考えるとゲームを作る側にも優しい時期だったかもしれません。
■1997年春
ユウキとの出会いがあるわけですね。
次の話からそこが語られていくわけですね。
ユウキとの出会い、就職、そして袂を分かつところが描かれていく。
なぜ『チェイサーゲーム』という作品名がつけられているのか、なぜタツヤが主人公なのかという部分が明かされていくのだと思います。
ユウキはCC2を退社していて、それはつまり松山社長が退社している社員の方に寄せている重いとクロスしているのではないですかね。
私なども少なからず部下を持つ身としてその部分に関しても興味があります!