オリンピック開会式は大きなジェネレーションギャップがあることを認識しました。
BGMにゲーム音楽が使われていたのですが、年寄りのゲーム好きには「感動」だったと思いますが若者には「なんでここでゲームなの?」というものだったと思います。
特にオリンピックに反対だった人たちには、変な利用されたという感覚のほうが大きかったかもです。
年寄りにはずっとそばに合った音楽だが、若者にはやったこともない古いゲームの音楽が大半。
ゲーム好きというだけで心動かされたりしないでしょう。
これはその他の部分にも表れていて、オリンピックという価値のあるものを若者に体感してもらいたい、という意識が年寄りには強い。
ただ若者からしたらそんなに価値を見いだせていないし、それよりは友達とより多く一緒に過ごすことのほうが重要でしょう。
オンピックの開催はそれを阻害する側面が多く、そもそも望んでいない人が多い。
このあたりはゲーム音楽の採用と同じで、年寄りは「価値がある」と思っているが、若者は「価値が低い」と思っているのです。
この隔絶は今後大きな意味を持っていきます。
今回の開会式で若者はいままで以上にオリンピックに価値を見いだせなくなるのではないでしょうか?
そもそも、オリンピックには1964年ほどの価値はないのです。
年寄りはそこを冷静に考える必要があります。
ただ若者は若者で、「出来ないものは無理してやらなければいい」という感覚が本当に正しいのか考える必要があります。
「他人が嫌がることをなんでするのか」というのは一見よさそうな意見ですが、それは今現在悪くない社会基盤の上にいるからこそ言える言葉です。
虐げられてつらい状況にあるのであれば、「それでもやらないと」という心境になっていたでしょう。
若者が今現在そのような状況にないのは、年寄りの「出来ないけど無理してもやろう」があったからです。
そして今回の無理してやったことで恩恵を受けるのは、今の若者たちのさらにその先の若者たちです。
今の若者も年寄りになり、その先の若者に「なんで反対していたんだ、自分たちのことを考えていたのか?」といわれる時が来ます。
そしてまた何もないところから積み上げないといけないときが来るかもしれない。
年寄りも若者も冷静になったほうがいい。
2021年東京オリンピックの感想はそんな簡単にけなしたりほめたりしないほうがいいかもしれない。
今回の不祥事として取り扱われた物たちは今後の日本のエンタメに大きな影響を与えます。
私の目には無理をしてでも頑張る人の足を、引っ張ろうとしている人達が得しているだけにしか見えない。
みんなで頑張らなければいい、は早いうちに国単位での破綻を迎えると思います。
その結果どうなっていくのかはわからないですが、、端的に「無理してやってくれる人たち」が日本に残ってくれる可能性は低いのではないかと思っています。