先日父が亡くなりました。
高齢の親がどのように死を迎えるのかという情報は、あまりありません。
つまびらかにするものでもないとも思いますが、自分自身の備忘録と、私自身は知識として知っていたらよかったと思うことが多かったので記録しておきます。
■最初の異変
父とは同居しておりました。
最初の異変は2年半前くらいですね。
どんどん痩せて行っていたんです。
割と体重の増減が激しい人だったので(冬になると太り夏になると痩せる)、あまり気にしていなかったのですがそれにしても痩せていました。
後で聞いてみると母には腸の調子が悪いと言っていたようです。
腸は持病を抱えていたのですが、十年以上調子が良かったので油断していたように思います。
母に早めに病院へ行くように言われていたようなのですが、なかなか行きませんでした。
理由としては「ゴルフに行きたかった」から。
体調が悪いと判明するとゴルフに行けない、だから病院に行かない。まるで小学生のようですが、本当の話です。
で、かなり体調が悪くなったことろで私が無理やり病院に連れて行ったのですが、腸ねん転を起こしかけているということですぐに手術ということになりました。
そこで癌が発見されます。
■癌の状態
開腹手術をして転移が確認されます。
早々に手術をしたのですが、
・多くの転移が確認できた
・人工肛門にするしかないので対応をした
・すでにステージ4である
という結果になりました。
異変に気が付いた時に早めに医者に診てもらっていたら、もっと状態は良かったかと思います。
注意はしていたのですが「死ぬのなら死んでいい」と言い張って聞きませんでした。
結果手術になったのですが、手術にも同意しましたし、その後の治療も受けています。
そんなことなら無理やりにでも連れて行けばよかったんですよね。
また「すでにステージ4である」と書きましたが、はっきりといってもらっていません。
後からの説明で判明するのですが、状況説明だけではっきりと医者が言い切らないことがある、ということは知識として持っておいた方がいいかもしれません。
■手術後
1回抗がん剤治療を行いました。
試しに軽いものから、ということだったのですががっつり拒絶反応が出ます。
みるみる弱って痩せていく。
80歳手前だったのですが、80歳付近の抗がん剤治療はかなり慎重になった方がいいです。
それでよくなる方もいらっしゃるとは思いますが、余命を縮める方もいらっしゃいます。
また治療をしなければその後長生きすることは、ほぼないと思っていいかと思います。
そういう、どれを選んでも正解がないという状況になるのです。
うちの場合は抗がん剤治療をやめるという選択肢をとります。
その後2年くらいは割と元気に暮らしていました。
ただ帯状疱疹が出たり、ところどころ体調に異変は起きていました。
そして、元気なうちにみんなで旅行に行こうということで佐渡島へ旅行に行くことになります。
その旅行から帰ってきてから、状況が一気に悪くなっていきました。
■腰の痛み
旅行時は割と元気にしていました。
長距離移動も、特に問題なくこなしています。
この旅行前から腰が痛い、という話はしていて旅行後検診があるので見てもらおうということを言っていました。
あと、もうこのままだと長生きが難しいということで、再度抗がん剤治療ができないか試してみるということでした。
そして抗がん剤治療再開後、元気な姿は見えなくなります。
■抗がん剤治療
全く身体が耐えられませんでした。
ここから食事がほぼとれなくなっています。
抗がん剤治療というのは、通院しながらでもできるくらいではないと難しいと言われました。
父は薬を飲んだらすぐにもどしてしまい、ほぼ寝たきりになってしまう感じでした。
調子が悪いので救急で病院につれていったのですが、そこで入院ということになりました。
食事がとれなくなっていて、アイスキャンディーなら食べられそうだから持ってきてくれ、氷を持ってきてくれという話をさかんにしていたのが印象的です。
これはあまり良い兆候ではないようです。
食欲不振が続いている終末期の患者さん「ガリガリ君なら食べられる気がする」→そのような人は総じて予後不良→身内などもそうだったという人続々
氷食症(ひょうしょくしょう)は、氷を無性に食べたくなる病気。異食症と同じく原因不明である。 非栄養物質を強迫的に食べたくなる病気である異食症の一種。近世、冷蔵庫が普及し始めてから生まれた病気で、一日に製氷皿1皿以上食べるもの、という定義がある。 ...
■リハビリ
入院後点滴を受けたことで受け答えができるくらいに回復しました。
ただ、食事は少量のみという感じになっていきます。
本人としては早めに回復して抗がん剤治療を再開したい、ということだったのですが家族からの判断としてそれに耐えらえるとは思えませんでした。
そういった状況がしばらく続くと、病院側から転院を進められることになります。
そこの病院は治療のための病院であり、終末期対応であれば別の病院に転院してほしいとのこと。
また、10月位だったのですがもって年内位で考えておいた方が良いというお話もされました。
ここでいくつかの選択肢が提示されます。
一番都合がいいのは家の近くの病院。
こちらは地域包括ケア病床しかありません。
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あくまで退院支援ということで60日(病院によって違うようです)位をめどに退院しないといけないのです。
後はいわゆるホスピスといわれるところですね。
ホスピスはまだ治療を望んでいる本人の気力が損なわれてしまうということと、通院の都合で外すことになりました。
いろいろ課題はありつつも家の近くの病院に転院することとなります。
転院後の記録に関してはまた後日アップします。
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