こちらの記事はいろいろと考えさせられることがあります。
一見いい値段しそうに見えるプロダクトをすごく安く買えて、なんなら暮らし周りを全てそれで賄うことだって可能で、低いお給料でもそれなりに見た目の整った生活空間ができて、お金持ちじゃないけど十分幸せにやっていけるよね。って、優しく麻痺したまんま国全体がどんどん貧しくなっていくのが怖い。
特にこの部分が刺さります。
死に物狂いでデザインを勉強してやっとアウトプットしたものでも簡単に廉価版を出されていしまうのが現代です。
元を作った人にお金が入りにくくなり、全般的に良いプロダクトは生まれなくなっていくでしょう。
それは全体的な幸福につながっているのか?
個人的には「多くの人が望んでいる結果が現状なんだからつながってる」と思っています。
私は多くの人が選んだものが正しいと思っています。
というかそうじゃないと思っても何も変わらないから、そう思うことをスタートラインにしたほうが建設的だよね、と思っているが正しいですかね。
多数決が常に正しい選択を生むわけではないですが、だからと言って間違っていると叫んでもコスパがいいことではないよねという感じです。
私は大学の時は経済を学んでしたのですがこれから先、「貧富の差が広がる」、「多くの貧乏の人が生まれる」、「多くの人が貧乏になるのであれば貧乏が不幸、富んでいる人が幸福とは限らない」という状況になると思っています。
確かに何人かに一人は大金持ちになって普通の人の年収分の美味しいお酒を飲むようになるかもしれません。
でも多くの人がその価値をわからないのであれば、それって本当に幸せなのでしょうか?
共感されることが少ない自己満足って幸福感に繋がらないと思うんですよね。
①子供のころから勉強をして良い大学に入り、良い会社に入って富を得る。
②大した努力をせずに貧乏生活を送る
これ本当に①のほうが幸せかはわからないですよ。
努力に見合う結果は得られない気がする。だって多くの人がその結果の価値がわからないから。
そして①の人たちの努力によって、②の人たちのアウトプットも上がるようになるんですよ。
指導する側が改善されていけば、指導される側の努力量が少なくてもアウトプットは増えます。
貧乏な人は搾取されているといわれますが、本当に搾取されているのはどちらなんでしょう?
死に物狂いでデザインを勉強してやっとアウトプットしたものが金銭という意味で評価されないのは理不尽に感じるかもしれません。
でも貧富の差が広がっていくのであれば多くの人にとって金銭というもの自体の価値が下がっていくということなんです。
多くの人にとっては価値がなくなっていくものを得ることに意味はあるのでしょうか?
クリエーターであれば金銭を得られるということより、その作業に没頭できることが幸福感に繋がってると思うんですよね。
貧乏ながらも快適に暮らせるほうがその作業にぼっとできる状況にはなります。
短期的に見るとおかしいように見えますが、世界はより良い方向に進んでいるのではないかと思っています。
貧乏人から搾取するために頑張るモチベーションってそんなに持たないですよ。
みんなを幸せにしたい、っていうモチベーションって長続きしますけど。
結局世の中はお人よしの努力家の手によって、改善されていくものなんですよ。