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【朱に交われば朱くなることは罪なのか ゲーム業界お仕事マンガ】『チェイサーゲーム』第42話 ラストリコード(9)感想!

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なんと今回は更木さんの若いころの話!

かなり興味がわきますね。

では当時の開発現場の状況なんかも踏まえて感想書いていきたいと思います!

■2008年

更木さん入社4年目の話。

2008年ですか、コンシューマーゲーム会社にとってはつらい時代の始まりですね。

PS2からPS3の時代になったのはいいけどゲームを作りにくいわ、PS2時代に比べて売れないわ。

海外はマルチプラットフォームに移行していき、日本はニンテンドーDSやPSPなどの携帯機に活路を見出していた感じです。

ここは開発現場としては分水嶺だったんですよね。

たとえ一時的な売り上げは見込めなくても、世界基準に合わせた開発を行ったところは今でも第一線でやれています。

そこから降りたところはうまくいっていないところが多いかと。

モンハン2ndGなんかが当時の代表的なタイトルですね。

発売されたリストなんかを見ると、この時期以降で新しいタイトルがほとんど生まれていないのがよくわかります。

新しいものを作れていた最後の時代。その時期に入社4年目くらいだとつらいだろうなあ。

良い時期を味わっていた先輩の下でつらい思いだけをしている状況かと思います。

先輩が漫画読んでいますが、当時はこういったことは普通でしたね。

実生活と仕事の区別がつかない働き方だったので許されていたんですよ。

■開発会社に送らなきゃいけない奴だった

はは、当時はよくあるやつですね。

当時は「開発会社」ではなく「外注さん」って呼んでいる人が多かったですね。

機材管理を専門にやってくれる人なんていないので、買う時にはちゃんとしているんですが戻ってきたら適当にその場に積んでおく。

そのうちだれがどこにやったかわからなくなる。結構管理がいい加減な人が多かった。

偉い人がそうだと追及できなかったんですよ!

ネコババしている人もいたでしょうねえ。普通のHDDならともかく、適当に廃棄されている開発機材をくすねている人もいました。

たまにネットオークションとかに流れているのはそういった機材なんでしょう。

今見つかるとかなり厳しい罰が下されると思いますので、絶対やめたほうがいいですよ!

■100を超える開発会社に発注している

この当時私は大手と呼ばれる会社で開発していました。

うーん、100もいくかな?と思いましたが当時はフィーチャーフォン、いわゆるガラケーのゲームがたくさん出ています。

それを考えると100でも少ないかもしれません。

更木さんどんどん罪の意識が薄くなっていきますね。

一つの会社に長いこといると問題がばれたときに大事になりますが、転職しちゃっていると追及が難しいんですよね。

辞める間際にそういった悪いことをしている人もいたでしょう。

■入社一年目

更木さん新卒で入社だったんですね。

てっきり別業界からの転職組かと思っていたのですが。

ということは2004年くらいですか。

先輩に怒られていますが、実際にはこう言うことは少なかったかと思います。

私の周りでは開発遅れてるんだったら朝まで仕事して、ちょっと寝て午前中に仕事を始める人が多かったです。

徹夜した意味がないという心配より、この人こんなに仕事してて死んじゃうんじゃないかなと心配することのほうが多かったかと。

当時は個人の頑張りで開発遅延をどうにかする、ということが出来たから頑張れたのです。

今は無理なのでイメージがわきにくいかなー。

■入社3年目~

まあまあかわいそうではありますが、実際に現場に上がったらこんなもんですかね。

これを聞いたゲーム制作者志望の人はがっかりかもしれませんが、たぶんどんな仕事をしてもこの程度の辛さはあるかと思います。

ただゲーム開発はこういった辛さだけじゃないですよ!それを補って余りある嬉しさもたくさんありますから!

ゲームショウで自分のゲームをプレイしているところを見ることが出来る。

エンドロールに自分の名前が載る。

ネットで自分のゲームのプレイ感想を見かける。

私は自分が作っていたゲームが生涯で一番のゲームだと言ってもらえたことがあります。

本当にうれしいですよ!

自分の作ったゲームの音声収録をしていた時に、有名声優さんが役に入り切って泣きながら収録してくれたことがあります。

もうね、一生の思い出です!

更木さんにもそういった喜びがあったはずなんですけどね。

■シリーズ物はクオリティを上げても売り上げは変わらない

ネットでも少し話題になっていましたね。

そんなわけないだろう!

私には20年以上一つのシリーズをずっと作っている同期が何人もいます。

毎年ゲームを出し続けるのがどれだけ大変か。

それだけ続くゲームというのは中の人たちにどれくらいの情熱があるのか。

アウトプットされたものだけだと確かにわかりにくいかもしれません。

どうしても納期のほうが重要になって、納得がいかないところで切り上げないといけないことも多いでしょう。

それでもちゃんと続いているシリーズというのはちゃんとやらないといけないことをやってるから続いているのです。

こういう考えで作っているシリーズは早晩終わってしまっているでしょうね。

■開発のこともわかんねーやつが口出しするんじゃねーよ

ちょっとかわいそうだけど、ちゃんと開発員の一員に慣れていないのがまずんじゃないかなあ。

それこそ法務担当の人でも開発員の一員として認められているような人だっています。

新卒で入社してきた人はほとんど役に立ちません。

それも1年たつと100出来てほしいうちの30位はできるようになります。

みんなが見ているのは30という結果じゃなくて1を30に挙げたという所を見ているんです。

そういう人は30を60に、そして最終的に100になることが期待できるじゃないですか。

最初から50出来る人でも1年後50のままだったら評価はされなくなっていくでしょうね。

更木さんが何も持ってなかったとしても新人ができるようになるところは、同じようにできるようなれたのでは?

それがないと開発員の一員として認めてもらえないですね。

■貴方は本当に優しい人だ

守田さんが更木さんに同情し、本田さんが守田さんをほめていますね。

そりゃこんなやり取りがあれば恋も生まれるかもしれませんね!

まあ大概の開発者の人は客観的に更木さんの行動の良し悪しを判断したコメントを出して終わりですよ。

そしてモテない。

大事なのはちゃんと最初に守田さんをほめることですよ!

心当たりのある開発者は心に刻みなさい!

あと東京に伺うのは慎重になったほうがいいかも。

好かれていると喜ばれますが、そうでない場合はドン引きされます。

実生活にはデバッグ機能がありませんから、好意フラグの確認なんかできませんからね。

■モノ作りの才能はなかった

今回の話で一番引っかかったところはここ。

なに甘いこと言っているの。

例えばディレクターになったらプログラムできなくてもプログラムの指示を出さないといけないし、デザインできなくてもデザインの指示を出さないといけません。

ゲーム開発において必要な能力を全部持っている人なんていないんですよ!

それでも歯を食いしばってやらないといけない。

中国に初めてデザイン作業をお願いしたことがあります。2002年とかですね。

私はプログラマー上がりの新人ディレクターだったのですが作業指示を出しに中国に飛びました。

そこで相手会社のデザイナーから、いろんな質問を受けました。

「おまえにデザインのことがわかるのかよ」ということを試すような内容。

正直泣きそうになりましたね。

いきなり小川直也に仕掛けられた橋本真也の心境ですよ。

相手は中国の美大を出ているような人たちですから、レベルは当然高いんです。

それでもどうにか立ち向かい納得して開発してもらうことが出来ました。

更木さんにないのはモノ作りの才能じゃないです。できないことに立ち向かう勇気です!

それがあればもっと違った未来があったのではないですかね。

私の師匠の一人は広告代理店からゲーム業界に来た人でした。

そりゃ開発者として何も持ってなかったですよ。それでも今は大会社の社長になっています。

すべての人にリングに立つ勇気を持てとは言いませんけどね。

これは更木さんとは関係がないのですが開発者になるのであれば、リングに立っている人に外野からヤジを飛ばすような人にだけはならないで欲しいです。

そういう人が増えるとクリエイティブの質はどうしても下がっていきます。誰の得にもならないですから。

■今回の感想に関して

いつもよりまして自分語りが多いし、ちょっと熱くなってしまいお見苦しいかもしれません。

更木さんは私より少し上の世代なんですが、かなり近いんですよね。

自分の同期に対する感情のようなものがわいてしまいました。

もう少し頑張り方を変えたら、もっと面白い開発者人生が送れたのではないかなあ。

このシリーズはいろんな意味で心を揺さぶられましたね。

次の展開も楽しみです!

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