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チェイサーゲームの感想:14話~16話

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【勇希が心を開く!? ゲーム業界お仕事マンガ】『チェイサーゲーム』第14話 半熟英雄(1)

https://www.famitsu.com/serial/chasergame/201910/14184845.html

【勇希が心を開く!? ゲーム業界お仕事マンガ】『チェイサーゲーム』第15話 半熟英雄(2)

https://www.famitsu.com/serial/chasergame/201910/28185634.html

【勇希が心を開く!? ゲーム業界お仕事マンガ】『チェイサーゲーム』第16話 半熟英雄(3)

https://www.famitsu.com/serial/chasergame/201910/28185634.html

■第2部開始!

第2部が始まりましたね。

もっと前に感想を書き始めていたのですが、どうせならその当時何があったか調べて書こうとしたら今になってしまいました。

まとめて3話分の感想ですが、今回は本編を読んでほしいのでネタバレ要素を少なめに進めていきますー。

■時代背景考証

いまさらながら第1部は2015年の話なんですね。

で、2015年で30歳、9年目ということは三年制の専門学校を出て就職という感じですかね

2019現在だといま34歳。

わざわざ2015年にしているということは何でしょうね。何か意味があるとは思いますが。

バックトゥザフューチャー?PS4の発売は2013年だしー。

1997年 → 13歳 ← 14、15話ではここ
2002年 → 18歳 ← 16話の最後ではここ
2015年 → 30歳 ← 第1部はここ

■1997年ごろ

とりあえず1997年の話から

中1のところから話を始めてますね。

いわゆるゲームクリエーターという言葉が出たのは1990年のドラゴンクエストへの道、という本が出てくらいからじゃないかな

ゲームデザイナーというものが注目されたのが、ダビスタIIIが売れて園部さんが長者番付に載った時だと思います。

そこからゲーム制作者は儲かる、というイメージができたのかと

それが1995~6年くらいの話なので1997年当初の彼らが目指していても不思議ではないですね

その前はゲームはゲームデザイナーではなくプログラマーが作っているというイメージのほうが大きかったかと思います。

園部さんも堀井さんもプログラマーですしね。そうなんですよ、堀井さんプログラマーだったんですよ。

堀井さんはドラゴンクエストの前はアドベンチャーゲームを作っていて、山下章さんがそういったゲームを「マイコンベーシックマガジン」で紹介していたんですよ。

そこでプログラム、ゲーム制作に興味を持ち始めたんですよね。自分のルーツを思い出しました! 松山社長も同年代なのでわたしと同じような経験をしているのではないですかねー。

ゲームクリエーター列伝1巻が1998年発売なので、ゲームクリエーターという職業が一般的に認識され始めた頃ですね。

このころはゲーム会社への就職は人気で大変、入った後も35歳くらいで引退する、みたいな感じでしたね。

実際私はその1999年に現場に配属されているのですが、30代前半の人が部長で開発からは引退している、という感じでした。

小島監督もポリスノーツを出した後で、まだ玄人が好きな開発者という感じでしたね。

プレステ、サターンの全盛期。逆に任天堂は携帯機以外はいまいち。

ゲーム制作においては日本一であれば世界一だったころですね。このころのゲーム開発者は本当に誇らしげでした。

でそのころに勇希とタツヤが出会うわけですか。

私は引っ越ししたことないのですが、1997年くらいは今みたいに多様性が認められているころではないので大変だったでしょうね。

バブルが終わって第一次就職氷河期。ゲーム開発者に限らず、クリエーター系の仕事を目指しているというのはなかなか口に出すのが恥ずかしかった時代ですね。

そんな時期から目標を口にしていたのだとしたら、確かに実現できるかもですね。

ゲームが子守りの役割をしていた、というのはよくわかります。

当時が今と違うのはネットが普及していなかったこと。動画もYoutubeの登場が2005年ですからまだまだです。

ゲームがキングオブ娯楽だったわけです。同業者に言うと嫌がられるのですが、今のキングオブ娯楽は動画でしょうね。

ゲーム開発者としては負けたままでいるつもりはないですけどね!

マコがデザイナー、ワタルがグラフィックを目指す、と言っていますが当時はこういった区分けなかったかと思います。

デザイナーはイラストやロゴ作成、グラフィックは3D関連という区分けですかね?

当時はデザイナーでひとくくりにされて全部できないといけない感じでした。

何気にキャライラストできる人が少なかったんですよ。ソーシャルゲームが流行していちばんよかったのは、キャライラストが描ける人が増えたことですね。

当時はデザインリーダーが必至こいて他の作業の合間に書いていたのを思い出します。

■2002年ごろ

そして話は一気に2002年ですか。

カナンが可愛くなりましたねー。

ただの妹キャラかと思ったら、メインキャラの一人になる感じですか。

みんなでゲームセンターに行っていますが、当時はコンシューマーゲーム派とゲームセンター派で分かれていた気がします。

開発に入るときもコンシューマーか、アーケードかどちらに入るのか迷っていた子たちがいました。

都会の子たちはゲームセンターでよい思い出が多くてゲームセンター派、田舎の子はゲームセンターが周りになかったのでコンシューマー派、みたいな感じでしたね。

私は田舎の子だったので断然コンシューマー派だったのですが、タツヤみたいな友達が多い子たちはゲームセンター派になるかもですね。

2002年はPS2が発売されて2年、PS2の独壇場だった頃ですね。ゲームセンターは格ゲーがひと段落して音ゲーがはやってた頃かな?

そのあたりの描写も出てくると懐かしい気持ちになりそうです。続きも楽しみですね!

今回はここまでですが、まだまだこれからもチェイサーゲームはレポートしていきます!

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